これからの学び

HSC(敏感過ぎるこども)にはホームスクールがオススメな理由(海外記事参考に)

みつけた海外記事をベースに、日本とは違った視点に日本事情コメントもプラスしてご紹介しています。多少日本社会に合わないボキャブラリーなどは意訳していますので正確な内容が知りたい方は原文に飛んでいただければと思います。

今回の記事は

Homeschooling Your Highly Sensitive Child
をベースに作成しています。

おそらく私自身もHSCで今はHSPだと思っています。
なんか面倒な性質のように、ケアする性質のように捉えられているフシにはなんとなく違和感を感じます。

「敏感過ぎる」という日本語訳も。
敏感過ぎるのではなく、いまの世界が「人間にとって正常である状態」からかけ離れていくから、それを察知できる人は調子を崩してしまうのだと思っています。

感じ取ってしまう人、こどもに、「~すぎる」という表現は、感知してしまうほうに責任があるように感じてしまいます。

もちろん、他の体調と相まって過敏性が増してしまう場合には、医療的対処や「~すぎる」といった表現もされることもあるでしょう。

ただ、日常生活においては「普通」を基準として設定されているいろいろなものがHSC、HSPにはきついことがあります。

多かれ少なかれ、普通、に当てはまるような人でもHSPの感覚は持っているものだと思います。程度の差があるだけでグラデーションなのではないかと。

青が好き、ピンクが嫌い、とか特色のひとつのように社会がとらえてくれるわけではなく、若干最近注目されて理解されつつあるとはいえ、「特別扱い」な気もしています。

日本以外ではどうとらえられているのか、そして特に調整できる大人ではなく、学校社会で生活しなければならないこどもに限っての見方を海外記事を参考にまとめてみました。

こどもたちに問題があるわけではない

HSCのこどもたちは他の兄弟や友達と違う反応をすることがありますが、その反応が「ダメなこと」ではないという点を確認する必要があります。

非常にセンシティブな神経系を備えて生まれてきているので、直感的で創造的で共感的です。良識があり調和を好み、内面を豊かに生活します。

大きな音、におい、質感、味、変化は、HSCのこどもたちにとっては課題でしょう。

 何に過敏なのか把握する

おそらくおしゃべり好きな兄弟と一緒に勉強するのはHSCのこどもたちには適していないことが多く静かな部屋や、勉強しながらオーディオブックを流すくらいなら大丈夫でしょう。
ざわざわと人が多い行事や、皮膚感覚的に苦手なユニホームをつけての活動は避けることは時には必要です。「逃げている」とか「ズルしている」というような感情は持たなくてもいいことを伝えましょう。

メモ:
ホームスクールに置いてはこのあたりを工夫することができます。親としてもこどもが不快にならない衣服を探すとか、行事の度にHSCでどの辺が負担なのかを説明するのにも結構な労力が掛かります。

たいてい、HSPでない人にとっては「たいしたことないこと」に敏感だと捉えられるとおもうので理解してもらうのも一苦労です。
もちろん、「学校に行きたい」が前提にある場合は、理解促進は大事です。

もし学びのかたちにこだわっていないのであれば、ホームスクールはこどもに合わせて環境も工夫できる、という点でこどもが抱える負担は軽減されるものと思います。

もし防寒具に関して過敏なら、適した防寒具を探しつつも、春・夏・秋に野外活動を多めにして、冬は最低限にするなど、1年単位で調整することも家庭学習では可能です。

こどもたちが頑張ろうとしているときにはサポートする

人より不快感に過敏であることは事実なのですが、大きくなってくると子供たち自身が乗り越えたい、と思うタイミングがくることがあります。

制御するより乗り越えたい、と思う時、休憩が必要であれば休憩し、別の機会に挑戦が必要なのであればそれもいいでしょう。

適切な時間と環境を提供してあげられるようにまわりはサポートできたらいいですね。

代替案を提供する

学用品、服、食べ物で、HSCが不快を感じないもの、を見つけるのはとても難しいことです。
ニーズが感覚的なものであり、親でも100%感覚に適したものは見つけられないし、存在もしないかもしれません。

ただ、無為にわがままと決めつけたりはせず、適したものがないときでも「オプション」は提供するようにしましょう。いくつかの選択肢のなかから決める。
そしてポイントは、感覚をベースにして判断する、ということです。触って嗅いで、快・不快を判断させてあげましょう。

家族や友達とコミュニケーションする

アレルギー食と同じ様に、まわりとのコミュニケーションは大事です。
善意でごちそうを作ってもらっても食べられないものがあると、いただけない。

説明せずに「いりません」としてしまっては、関係が悪化しがちです。完全な理解・共感は難しいかもしれませんが、なぜこういった活動に参加しないのか、これを食べないのか、といった説明を大人がサポートして、まわりに伝えておくことも、大事です。

ニーズを特定する

こどもたちは自分のトリガーがなんであるのか理解しておく必要があります。
また、休憩が必要なときに、どのような場所であればいいのか、あらかじめ準備しておくこともできます。

必要があって、人の多いところやHSCのこどもにとっては刺激が多いところに参加した後や、途中で限界を感じ休む場所が欲しいときにも「快」と感じるものを集めたバッグやスペース、指定の場所をあらかじめ持っておくのは、「合わないこと」へこどもが挑戦したいと思う時にもとても大切です。

自分で自分を擁護する 説明できるようにしておくこと

おとながいつも傍らでサポートできるとは限りません。
完全ではなくても、自分の特性や苦手なもの、不快と感じるもの、そしてそれは感覚的なものであって、わがままや我慢と違うということを説明できるように、親子で話合っておきましょう。

まとめ (日本人としての意見)

HSCだからといって、学校が合わないわけではないでしょう。
ただやはり、大人数一律のために存在する「学校」は個別最適化(学習以外の点で)するのは難しいでしょう。

それにスコアで判断できるものではなく、「感覚」をメインにしているものということもあり、HSP経験のある教員などではないと、共感も難しいのではないでしょうか。

そうなると、ホームスクールのほうが工夫しやすいというのは確かではあります。小学生のうちはまだしも、日本の大部分の中学校というのは指定のジャージや靴などがあるし、行事にも決まり事が増えてきます。

自由にしたいから、と「不快」で身につけられないのは違っていても、言語化うまくできないこどもたちが説明しても「わがまま」と片づけられてしまうのがたいていでしょう。

一生、自分が不快じゃないものばかりの場に居られるわけじゃない、という声もありそうですが、少なくても「ニーズやトリガーが何か」を見つける時期はホームスクールで良いのかもしれません。

幼児期にHSCに気づいていなければ、小学・中学と学校にいる時間のほうが長く、なにがきっかけとなるのか親が気づく機会がもてないからです。

なにがトリガーになるのかこども自身が理解し、それに挑戦するのか、減らすのか、工夫するのか、その後考えていく土台として、ホームスクール時期を持ってもいいのではないかなというのが個人的な意見です。

 




 

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まなびが苦手ではないはずなのに「学校」というなかでの学びによって、苦手になっていくのはもったいない。 家にいながら世界に触れて世界を知りつつも、それぞれの子なりの学びの方法やペースで成長していけるような環境を提供していければ、自分の経験や通信制高校・大学、海外のまなびの情報を提供しています。