これからの学び

居場所やフリースクールより現実的?マイクロスクールの広がり

日本ではパンデミック以前に、不登校に関して「フリースクール」や「居場所」の存在がありました。

しかし、フリースクールでさえ、助成等のはなしがでたのは去年(フリースクールへの公的助成)。そして、全国さまざまなエリアにどれだけフリースクールに通える距離感の生徒がいるのか。

現実に即していない助成の仕方だなと個人的には思いました。

居場所も増えつつあります。しかし、こちらも除籍等を得ない場合、主催者の熱意・ボランティアに頼ることがほとんどで地域やこどもたちの困りごと・ニーズに対応するには圧倒的にリソースが足りません。

頑張っているところにはいかず、学校システムに都合がよいところにお金が流れる。それがいまの教育システムだと思っています。

資本主義的にビジネスライクに考える「マイクロスクール」はどうだろうか

居場所の場所代等、たとえ数百円でも払うのに困惑する参加者さんがいらっしゃいます。それを責めているのではなく、こども・教育・福祉関係は無料でできるもの、といった社会おスタンダードに違和感を感じているだけです。

確かに無料で開催しているところはあります。それは実際に活動をしてみると裏が見えるのでわかるのですが、○○財団、といったような大きなところからの助成を取るところにちからを注いでいる団体の場合です。

それが悪いというのではなく、それが「無料で当たり前」といった風潮を作り出しているのはちょっと残念だなと思います。

マイクロスクールとは

A microschool is an independent learning institution
Often described as “outsourced homeschooling,” they are free from the bureaucracy, standardized tests, and mandatory curriculum that defines today’s public school system. Microschools tend to be efficiently run, and student engagement is remarkably high.
参考(https://www.microschoolrevolution.com/ より )

(概要訳)
マイクロスクールとは、独立した学習機関
マイクロスクールは、現在の公立学校のような官僚主義、標準化されたテスト、強制的なカリキュラムから解放された「アウトソースされたホームスクーリング」と呼ばれています。マイクロスクールは効率的に運営されている傾向があり、生徒のエンゲージメントは非常に高くなっています。

居場所が学習サポートや保育の役割をはたしていてもボランティア扱いだったり、無給で保育の役割も担うことになっているのと違って、

明確に「払う人」「時間給として受け取ってこどもたちの世話をしたり学習を教えたりするひと」

と利害関係をはっきりさせており、保護者同士で教育の役割もする場合には、それにも対価が支払われるようになっています。

またサイズのちょっと大きいマイクロスクールや、正式な「教員」に学習の部分をお願いしたい場合は、そのマイクロスクール単位でお願いする、という形になります。

家庭教師のグループ版、グループ指導塾の家庭版(学校からではなく家庭から始まる逆向き)みたいなイメージでしょうか。ホームスクールのアウトソース、という表現わかるような気がします。

パンデミックで、仕事を休めないけどこどもが休校の家庭や(マイクロスクールにこどもを預ける)、仕事自体がなくなってしまう家庭(マイクロスクールで請け負う、教える側で対価を得る)など、それぞれの環境下で、ウィンウィンのかたちとなることが多く、ホームスクーラーや不登校以外でもこのマイクロスクールやポッド教育というスタイルが自粛生活が続くようであれば広がっていくかもしれません。

もちろん、学校と違って承認数ということもあり「密ではない」ということ、近所同士での小さい集まりなので、フリースクールほど地域差なく通える距離に作れる、ということもマイクロスクールのよい点かもしれません。

マイクロスクールの始め方

学習の部分を外部に頼み、設立は保護者。
リソースは外部のものを使いながら、居場所などのようにすべて主催者が負わなければいけないのではなく、保護者全員が運営者でありつつ、生活のほかに「学習」「保育」など現在の不登校の親が一気に背負わなければならないタスクをうまく外部に分散させられている。

善意だけではなく、現実に即したかたちとしてのマイクロスクール。もっと広まるといいなと思っていますが、ちょっと懸念点はあります。

・学校システムのミニ版として、管理教育になれたイノベーターが間違ったイメージを作り出さないか。
・学校のミニ版としてルールで縛ったただのプログラミング学習や英語学習の高価な塾のイメージにならないか

想いだけではなく継続可能なかたち?マイクロスクールに期待

多くのフリースクールや居場所が熱意のあるひとたちの「想い」で続いていること。そして助成金なども本意ではなくても続けるために挑戦しているところもあること。

でもどちらも運営者の「熱意」に頼っているところがあります。
それでは後継者がいないと先が続かないし、主催者にも生活があり、おもいだけでは続けられない瞬間が来ます。

それは学びの当事者であるこどもたちには関係のないことで、本来は地域で、国で、学校にいこうがそれ以外であろうが、こどもの学習機会は担保されるべきであって。

マイクロスクールは生活に即した、というか雇用の一部も担っており、責任問題のあたりはサイス感が大きくなればなるほどはっきりと決めておいた方がいい気がしますが、現実的なかたちと思えます。

ボランティアではなく経営視点で、サポートも時間や労力をちゃんと換算する。それは無機質になるという意味ではなく、こどものために「続ける」という意味では大事なことだと思うのです。

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まなびが苦手ではないはずなのに「学校」というなかでの学びによって、苦手になっていくのはもったいない。 家にいながら世界に触れて世界を知りつつも、それぞれの子なりの学びの方法やペースで成長していけるような環境を提供していければ、自分の経験や通信制高校・大学、海外のまなびの情報を提供しています。