どうでもいいのですが、Amazonの従業員数は647,500人だそうです。
不登校、これより多い14万人。こどもの退職願いは無視されるのでしょうか。
ハラスメント(いじめ)に対するストレスケアの福利厚生(有給休暇や傷病手当)、産業カウンセラー(スクールカウンセラー)は機能しているのでしょうか。
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ビジネスの構造そのまま真似できないのはわかった上で破産しないから向上心がない学校?
従業員のケアをせずとも、「規則」とすれば来ますからね。学校。
ブラック企業のようなところもあります。とはいえ、公教育であり、そこに利益をのせたら教育の分野はうまくいかないのもわかります。(でも実際委託事業とかビジネスの香り満載ですが)
でも大きい会社、たとえばうえにあげたAmazon6万人がストライキを起こしたら、会社ってまわるでしょうか。
学校は仮に「ひと」である生徒を中心に考えなくても「場」は保持されるから「ひと」を中心に考えないのでしょうか。
大事にしなければ愛想つかされる
主役は「生徒」ではなく「学校」。
運営上そういう考えも必要でしょう。でも、生徒がいない学校は学校ではなく、先生は先生ではない。
主人公であるはずの「生徒」。不登校だろうと、学校行っている子だろうと心もからだも蔑ろにしていませんか?
炎天下の運動、150万円おごっても「いじめ」ではないという判断。児童虐待の家庭にデータ渡してしまう自分事感のなさや、観察力のなさ。
大事にされていないことは肌で感じるものです。だから、状況が許す家庭は(仕事や親の負担の工夫を重ねて)不登校に流れていくのが現状だと思うのです。
不登校対策の「多様な学び」は学校にとっても正念場
14万人という無視できない数字に、文科省も対策しはじめているわけですが、多様な学びを容認しはじめているということは、学校は選択肢のひとつ、となる。
今まで「学校」しかこどもが選べるところはなかった(知らされていなかった)。それに絶望して未来ある選択をできずにどれほどの人数が自己肯定感を低めて過ごし、大人になっているか。
もちろん、不登校を糧にして進んだひともいるだろう。でも成功モデルだけをフューチャーしている風潮には同調できない。だって、学校行っても行ってなくても人生には失敗も成功もある。
不登校、だから活かして成功が王道、みたいなプレッシャーをかける必要はない。
学校が選択肢のひとつとなったとき、選ばれるのか。
教育機会確保法が制定されて…
多様な学び、居場所がみとめられつつあるのかなーと思ったら、どうやったって学校の管理、学校中心におきたい模様。
多様=フリースクール、のイメージでとらえているのか知らないが、フリースクールないところだってたくさんあるし、通えたら学校通うわ!っていう子もいるだろう。多様って、自由に選択できるためのもので(責任と結果は伴った上で)、こういう多様を広めましょう、とかこれから選んでください、じゃないんですよね。
最近発表された不登校のコーディネーターもしかり。学校中心のためのものですよね。ITの学習が出席日数になるというのも然り。もちろん、変化の第1歩としては喜ばしいことですが、離れて、価値を感じなくなった人に必死にポイントをあげている感じもしないでもないです。
「学校ありき」の策です。
学校以外の将来がある、って知ってしまった人たちは、そのポイント使うところないから価値がないです。
もちろん、学校・学歴・勉強大事。
ただ、学校でなくても学べる方法をたくさん認めること。だって学校タイプの人間だけではないのだから。どんなコミュニティでも多様な人がいてひとりひとり違うのだから。
ましてやグローバル時代、いろんなバックグランド・考えの人が入ってくる時代なのに、それをできない学びの時期、6.3.3の年数がムダになってしまいます。せっかくの成長期・伸び盛り。
すべきことは学ぶこと。その方法をたくさん大人たちには生み出し、広めてほしいです。
学校、は「すべきこと」じゃなくて、「第1候補」。
学びが纏まってて、給食も出る。学歴も付く。全部セットはお得です。しかも公教育。
でも、選べるセットが必要な人(病気や環境)や選んでいきたい人もいるのです。