不登校になると、日中外に気軽に出るわけにもいかないので、どうしても家でできるネットに偏ってしまうのは仕方がないことです。でも、ずっと画面、ずっとオンラインってどうなの?って思ってしまいます。そこのところ、経験談から考えてみました。
Contents
不登校、引きこもりのネット依存
あくまでも感覚的なものですが、不登校や引きこもりになったときに
「ネットをあまり使わせないようにしよう」
って頑張る家庭の方が、ネット依存になってしまっている印象があります。もともと、人って誰かと関わっていたいものだと思うのです。で、何かしらの理由で学校は、NOって思った。でも、どこかでだれか(家族以外の人と)繋がりたい。
ってなったら、現代はネットしかない。
核家族化してしまっているし、昔のようなご近所付き合い、家庭以外のコミニュティ(学校の延長のような同じメンバーの塾やスイミングなどの習い事じゃなくて)にで出会うこともなかなかない。
最近は、そのことに危機感を抱く人が増えてきて、いろんな活動が立ち上がりつつある。
ネットやゲームにはまるのを止めない方が依存まで行かない、そんな気がします。(自由にやらせているのに依存してます、っていうのは、たぶんほんとは良くないと親が思っていて、でも相談した○○さんが、しばらく自由にやらせなさい、って言ってたし、、というスタンスで自由にさせている気がします。無言の不自由さ、責めてる感こどもに伝わるのでは?)
人に会わず、ネットだけで生活したら社会性がなくなるか。
不登校、というのとはちょっと違いますが、
私自身、高校を卒業して2年半くらい、子供が生まれて過労で倒れて8年くらい?、ほぼトータルで言えば10年ほど、半引きこもり状態になっていた時期があります。
体調不調がもともとの原因ですが、人と会うエネルギーすらなくなっている状態です。「引きこもり」とか名称を意識する余裕もなく、ただ
外にいけない、人と会えない、疲れる
状態だったのです。それでも、学びたかったり、生活していかなきゃならないとなると、できる限りのことをオンラインで済ませようとリサーチして生きてきました。
その一つが、通信制大学であり、それは今でも学ぶ内容は変わりましたが続けています。
生活については、翻訳をオンラインでやり取りして、、、つい最近まで、1年に予定を組んで会うような人なんて数人しかいませんでした。
実際に人と会わない、ということは文章の端々から、人間性とか適当さとかが伝わってしまうわけで、見た目やおしゃべりの内容という別の情報が助けてくれる対面とはまた違って、意外に「リアルな本性」がでてしまうものです。
(逆にうまい人はオンライン上の印象操作もできそうですが)
社会性とは、オンラインであれ、オフラインであれ、人と関わることで培われるものであるし、例え人と話さないにしても、生活している上で間接的には社会と常に関わっているのだから、完全に社会性がなくなるということは現代日本ではありえないことだと思うのです。(山奥で一人で住むのとは違うので)
オンライン生活をし続けると行きつくところ 人間のホメオタシス
生来、ネットが好きとか、依存しやすいというなら別ですが、普通に生活していて、一時的にネット環境メインになってしまって、昼も夜も、毎日ずっと、ってブレーキなしにやっていると、不思議なもので、体がバランスを取ろうとしてしまうようで、
まずは体的に不具合が出てきます。
で、興味的にも、なぜかとてもオフラインの人との関わりやリアルっていうものを強く求めるようになります。
ZOOMでもいろんなことができる!でも無性にリアルで体験したくなる
オンラインでできることが増えるにつれて、どうしてもリアルじゃないとできないこと、に逆に強く惹かれるようになってきています。
目下の目標は、オンラインで仕事をしながら(ノマドのように)、リアルを体験する旅しながら過ごしたい!
オンライン、オフラインはどっちも悪者でなく、必要なところ、必要な場面に使って。
障害となることがオンラインで解決するなら活用して、そして、リアルでの体験も大事にする。
オンライン・オフラインのハイブリッドの時代です。グローバルな距離は、すぐには移動できない。
でも、グローバル化していくこの時代。
グローバルになってしまえば、距離的な問題は、引きこもってても、普通に会社員してても同じ位置。差がない。
だから、引きこもってても不登校でも、社会からはみ出たって考えなくてもいいんですよ。
グローバル視点で考えたら、みんな同じライン。
もしかしたら、こもっているうちに活用しているネット環境で、逆に少しみんなより進んでいる方かもしれません!
(どの銘柄の株買ったらいいかなバブ。
・・・とまではいかなくても、子供の起業家にオトナが追い抜かれる時代もすぐそこ?)