不登校やホームスクール分野に関わる以前に、そういえば昔からこういうのに憧れていたなーというのを最近思い出しました。
スウェーデンなど北欧などで進んでいる生涯教育やリカレント(日本でも言葉は広がってきていますが本意は掴んでいない気がします)のような、就業してからでも再度学べるようなシステムに惹かれていることを。
一番最初にそういうのに気づいたのは小さいころに見たフルハウスかもしれません。
ただ学びたい、で学べる人も日本にもいるでしょう。でも、そこは日本の場合、地域格差、経済格差が影響してきてしまいます。
基本的にこのサイトでは、「勉強の頑張りの差」以外の格差がなるべく影響しない情報を紹介しています。
そういう想いとも共通するというか、学びたいとおもったら学べるように国家が作っているシステムはとても興味深いのです。
しかし、社会人が「学ぶ」には生活との両立が必要になってきます。日本の場合はどうにかそれを可能にしているのは通信制大学でしょう。
しかし現実的にはスクーリングのための休暇をとるなどは難しく、仕事と並行して学習時間を取るのもかなり大変です。日本では「努力」のひとことで片づけられてしまいますが、実質どうなのかをちゃんと直視する必要があると経験から考えています。
頑張りだけでは、達成まで結びつかないので、具体的なプラン・戦略が必要ということです。
と、日本の場合は、ですが、スウェーデンのような国では、失業→教育→再就職、のシステムができている。怯えや努力、だけで落ちないようにするのではなく、いつもチャレンジしてステップアップできるかたちが用意されている。
学びなおしのシステムがないからドロップアウトできない
(参考 株式会社ビジネス・ブレークスルー(BBT)企業向け ⼈材育成ソリューション)
・失業給付を受けるためには学ばないといけない
・失業したら学べる
・学んだら個人としても国としても労働の質が高まる
学びって安心していないと、効率的に吸収できないものじゃないかと思います。短期間のものなら焦りや追い立てられることで、結果がでやすいものもあるでしょうが、長期は続きません。
学校に行かないことも、社会に出たら困るよ、も、このドロップアウトできない社会のシステムが一番問題であり、学校がそう言ってしまう気持ちも、社会に学生を送り出す機関としての学校側の言葉としてはわかるのです。
しかし、その「良かれと思って」の言葉はドロップアウトできない社会のなかでは有効であれ、学校以外の道をちょっとでも垣間見た家庭にとっては、足を引っ張る、引きこもりに繋がるきっかけになる言葉にもなりかねません。
学校に行く、行かない、の時期に一番いやだったこと
学校の脅し文句の代弁者になっている自分(保護者)
・宿題しないと進級させてもらえなくなるかもよ
・保健室登校でもしてないと卒業させてもらえないかもよ
・学校行かないと引きこもりになるよ
・社会に出てから困るよ、ニートになるって言われるよ
・一度落ちると復帰にしにくいから頑張って
今学校行かないこどもの選択をよしとしている保護者も、最初はこんなことをこどもに言いがちでした。
だから他の親御さんや、ご近所の偏見、学校の言葉もわからなくはない。でも、だからこそ動きが取れないのも事実です。
上記に並べた言葉、当時は自分の考え、と思って子供に向けている言葉なんですよね。問題なのは。
時を経て思うのは、学校へ行かない、と明言できているいまのこどもたちではなく、学校のしがらみに影響されているのは親のわたしたち世代だということ。
学校の言うことが、一般人の保護者(自分)よりこどもが訴えてる不調より、正しくて優先させるものなのだ、と無意識に刷り込まれてしまっている。
結果、自分はどう考えているか、目の前のこともが「苦しくない」ようになるにはどうしたらいいか、に頭を使うことなく、学校の正解を鵜呑みにしている。
もちろん、学校の正解が正解のケースもあります。が。それを自分ごととしてちゃんと考えたか否か。
学校行かない、の初めの頃は、学校(社会)正解が自分の正解、っていう概念からまだ抜け切れていなくて、それでいて、目の前のこどもから感じる実感や、自分のなかで感じる「正解への違和感」、それに挟まれている時期が一番しんどかった。
そこを抜けて、
一番はこどもの感覚、感情、体調!
ってなってからは、問題は山積みでも気持ち的にはたいぶ楽になりました。
結局、学校の正解は一種の脅しでもあり、レールに戻んないと知らんよ、自己責任だよ、落ちぶれるよ、というようなメッセージも含まれていて、学校行く行かないの時期は、その脅しを「それはほんとなのか?」と自分で考えるワンクッションを置かず、こどもに代弁している、こどもに対しての「裏切者」状態ですごく居心地が悪かったのです。
良かれ、と思ってのその言葉、学校行かない家庭には負担であり、こどもはその真意を理解できるほど、まだ大人ではありません。にも拘わらず安易にドロップアウトに偏見を植え付ける。
実際ドロップアウトしたことある教育関係者がどれくらいいるだろうか。
経験したことのないひとの言葉であれば、それはこどもと同じく、ドロップアウトしたら怖いという怯えであり、その価値観を全不登校児に押し付けるのはどうかと思うし、こどもに夢を与えるような職種でありながら、ドロップアウトしたら価値を認めないという社会を伝えているようでもある。
でも、良かれと思って、が間違った方向に進んでいるのは、声を上げてこなかったわたしたちにも問題があるのかもしれない。どこかで自分の正解ではなく学校の正解を優先して、こどもを優先することを遠慮してきたから。
良かれ、と思って、という良いエネルギーが有効に活用されることを期待して、経験から(勝手に)オリジナル不登校マニュアル学校版と保護者版、作ってみました。
公式に活用してくれ、とまではいいませんが、こう対応してほしかった、時間が経って、そして教育業界の情報とかも頻繁に触れるようになって整理できたから纏めれたもの。こういう対応が初期からあったら、(学校いくことが正解、という意味ではないけど)学校行ってたかもしれないし、別の進路も考えれたかもしれない、と思うからです。
マイナスの方向に行かないように、はうまくできたけど、本来、学校行ってないこどもでも、プラスの(いろんな選択肢)こともあれこれ選べないと国としておかしいと思うので。(政治的な意味ではありません。教育として)
詰め込みたい要素が多すぎて、アップデートの可能性がありますが、第1案を作ってみました。
保護者、学校対応などで色をわけようと思ってましたが、かぶるところも多いので、纏め方を変えてみたいなと考え中です。
マインドマップのほうがわかりやすかったかも、と途中で思いましたが、アップデート前提のためグーグルスプレッドシートで作成しています。
[pz-linkcard-auto-replace url="http://homeschooler.link/wp-content/uploads/2021/01/58a62592f413c4befa62a63dbadad9cf.pdf"]経験を元にしていますが、勝手に作成していること、アップデート前提で変更していく可能性があることから、シェアやご利用の際は、ご一報いただけると助かります。
info@homeschooler.link まで
まとめ 入学時に選択する質問が当たり前になればいいのに
学校行かない、を選択するからといって、
学校否定ではありません。
たまたま個性や環境や特性に、学校というハコが合わない家庭もある、ということ。
学校はそのまま必要。(時代にあった変化はもっと必要ですが)
ただ、入学時に
学校からのドロップアウト→不登校、ではなく
学校以外と学校、どっち選びますか?
って質問があってほしい。
そして、こちらのデメリットは~、こちらのデメリットは~、ってちゃんと説明できる教育機関が存在してほしい。
いまはなってしまってから、の保護者の情報収集力にまかせっきりなところがありますから。
教育の義務・権利というなら、まずは情報が的確に周知されること。その後、選ぶのは各家庭とこどもたち。メリットとデメリットをちゃんと教えられたうえで。
これが最初からあったらぐるぐる遠回り、外出しない罪悪感抱え時期をこどもたちは過ごさなくてすむのになーと思っています。