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不登校は’ここでなければならない’という呪縛から解放してくれる好機



学区という9年間の縛り

当たりまえに学校に通うと、ぴかぴかの1年生で入学して中学卒業まで、特別な事情がなければ

学区内の学校に通うことになります。

そして、家を買ったり、親が仕事先を見つけるときも、少なくてもその9年間は同じ地域に住む、といった認識で

ものごとを決めていくと思います。

ところが、不登校になると、確かに在籍はしているし、また別の学校行って不登校だと、学校や先生とのやりとりが一から必要、

というめんどくささのために転校はしないけど、いうなればほぼ登校しないので、ほんとはどこに住んでも同じなわけです。

「そこ」でなくてはない理由は特にない、と気づく

 

登校しているうちは、友達もいるし他に変えたらかわいそうとか、親の転勤とかでなければ同じところに通うのが当たりまえ、

という意識から、子供がいじめに苦しんでたりしても、「その学校で解決」しよう、させようと親・学校がする。

でも、苦しいのにそこにいなきゃならない理由なんてあるのだろうか?

学びなんてどこでもできる。9年間同じところじゃなきゃいけないという常識は、不登校になってみたら、特に明確の理由のない

常識だったと気づく。

どうせ行かないのだから、どこへでも飛べる

 

不登校をネガティブに考えたら、在籍している間中、まわりの目を気にして、「学校へ行くべき」を気にして、「行けない自分」

を悲観して、数年を過ごすこともできる。

一方で「学校へ」行けないのだから、その時間有効に他のところへ行こう、留学しちゃおう、って思えたら、

不登校という不自由は、すごく広がりを持つものだった。

親自身の「場所」への呪縛

 

こどもが学校に行っても行かなくても、学校の時期は、同じ土地から動いちゃいけないという、無意識の義務感。

ライフプラン的には、いろんな夢があったり、子供を違う地域で育てたいなという思いがあったり。

不登校、というタイミングは、「ここじゃなくてもいいんだ」と子供も含めた家族の将来計画を自由へと解き放ってくれた。

そして、地元にいるから守られる。

当たりまえをこなすから、信頼される。

そうではない場所に行く可能性は、もっとシビアに「生きる」ことを教えたり、覚えたりしなくてはならないこと。

そして、それは学校終わった年齢には、いずれにしろ直面しなければならない問題。

不登校はそれを早めに親子で向き合わなければならない。

それはまだ親がフォローできる時期に来る試練であり、また人生の早い時期に「生き上手」になるってことは、

幸せでおトクなこと、って最近思うのだ。

不登校になってくれてありがとう♡って。

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